カトリック神戸中央教会

Kobe Central

catholic church

エマニュエル・ポポン神父
QR Code https://www.catholic-kobe-central.jp/ppn/%ef%bc%92%ef%bc%89%e9%bb%99%e6%83%b3%e3%81%99%e3%82%8b%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ae%e8%a8%80%e8%91%89%e3%80%80%e3%83%bc%e3%80%80%e3%83%a8%e3%83%8f%e3%83%8d13%ef%bd%a41-9/

2)黙想するための言葉 ー ヨハネ13、1-9

さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。

 

「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」

聖書に書かれるイエスは「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」のでした。
私は、愛について知りたい、聖書を読めば愛について学べるかもしれない、答えは必ずあるはずだ、と考えています。
でも、この箇所を実際にゆっくり読み始めると、わからなくなります。
愛はどこにあるのでしょうか。

しかし、すぐ理解しようとする気持ちを抑え、素直になって、諦めずにゆっくり読んでいくと、あることに気づきました。
それはイエスとペトロとが議論しているところです。

イエスがペトロに言う言葉から、その裏にあるイエスとペトロとの関係に気づいたのです。
(こういうふうに聖書の意味をいつも深めさせてくださるのは「神の息吹」、つまり聖霊だと信じています)

先生であるイエスが弟子たちの足を洗い始めた時、弟子たちはどう感じたのでしょうか。
弟子によって違うとは思いますが、ペトロが示した反応は、他の弟子たちも同じように示したと思ってもいいかもしれません。
自分より上と思っているイエスに足を洗ってもらうことは考えられないことでした。足を洗うのは身分の低い人の仕事です。

ペトロはイエスを尊敬するからこそ、それをゆるすことができません。
イエスに比べて自分が低いと思っているからです。ペトロは真に素直で謙遜な人です。
しかし、イエスが偉いという思いは、イエスとペトロとの関係を邪魔しています。
ペトロは自分が正しいと思っていることを優先しています。
それは悪いことではありませんが、その結果イエスに反してしまいます。

わたしも同じでした。
神の道がわからない時に我が道を行ってしまい、神の道とは反対の道に行くことが多くありました。
ペトロはイエスがなさることを理解せずに、反対してしまいました。
しかし、イエスが「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と言った時にすべてが変わります。
何が起きたのでしょうか。ペトロは急に理解したのでしょうか。
そうではないと思います。ペトロはイエスが何をしているかまだ理解していません。

しかし、理解しなくても、とにかくイエスから離れたくないのです。
わたしはそれを理解できます。
ほとんどの場合、イエスがなさること、言うことはわたしの理解を超えますが、とにかくイエスから離れたくないと言う強い気持ちを深く感じるのです。

ペトロはイエスに反していることがわかった途端、大きく反応を変えます。
最初はペトロの自我が邪魔になっていましたが、イエスとの絆がその自我を超えたのです。
きっとペトロはこういうふうに思ったのでしょう。「今イエスが何をしているかわからないが、とにかくイエスから離れたくない。イエスに従おう」と。

ペトロは素直になって、イエスの愛のしるしを受け入れるようになりました。
イエスに足を洗ってもらうのを受け入れるのは、イエスの愛を受け入れることです。
その時にはその愛を完全に理解できなかったかもしれませんが、後で理解したのです。
もしそのまま断っていたとしたら、その愛を受け入れることはできなかったでしょう。

わからないことはたくさんあります。いつかは理解できるかもしれません。
しかし、理解することよりも、イエスから離れないことを大事にしたいのです。
それはイエスを信じることだと思います。

ペトロはイエスのもとに喜びを見出し、イエスと一緒にいたいから自分を捨てることができました。
喜びに基づいたイエスへの信頼と希望が、生き方を変えるきっかけになります。
そしてイエスとの絆が、イエスに従って歩む力を与えます。イエスとの絆は自分を超える絆なのです。

主イエスよ、ペトロと同じように、理解できない時でも、あなたを信じ、すべてをゆだねることができますように。

このメッセージをシェア!

司祭メッセージのタグ一覧

年間行事のタグ一覧

ログイン用ユーザー名*
半角英数で入力してください(変更不可)
お名前*
ニックネームでもOK(後で変更可能)
メールアドレス*
パスワード*
ログイン用のパスワードを入力
パスワード*
確認のため、もう一度パスワードを入力してください
自動翻訳スイッチ(Auto Translation Switch)
Choose your language
Auto
Translate

カトリック社会活動神戸センター

カトリック神戸中央教会と同じ敷地に、カトリック社会活動神戸センターがあり、高齢者、障害者支援、外国人支援、野宿者支援を行っています。

電話の受付時間は、9:00~17:00です。

078-221-4682