カトリック神戸中央教会

Kobe Central

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エマニュエル・ポポン神父
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1)黙想するための言葉 ー 香油を注ぐ女 ルカ7,36−50

36さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。
37この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、 38後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
39イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。
40そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。
41イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。
42二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」
43シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。
44そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。
45あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。
46あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。
47だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
48そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。
49同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。
50イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

 

エマニュエルの黙想(この箇所を黙想して、わたしが思ったことです)

シモンは悪い人ではありませんが、世間に正しいと思われていることを守ることで、自分が正しいと思い込んでいます。
自分には足りないものがないと思い、心の中に神様の慈しみを求める必要を感じていません。
シモンとその仲間たちは気づいていませんが、神様の慈しみを必要としない心は、神様の息吹に心を閉じることと同様です。
だから女の人に対して厳しく接することしかできませんでした。

人の前で、自分の方が正しいと思う人は、憐むことができません。包容する愛を示すことができません。
だからイエスは「赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」と言いました。
その一方、イエスの足に接吻する女の人は、周りの人に罪深いと言われていて、侮辱されていました。
彼女は心の中でいつも叫んでいる状態でした。慈しみと愛情とを渇望していました。
だから、愛してくださるイエスについて聞いた途端、愛を求める心が動かされたのです。
周りの人の悪口に気にせず、イエスに会いに行きました。

そして、イエスの愛に動かされて、彼女の中にも愛が解放されました。
他の男の人に侮辱されていた彼女は、イエスのそばに暖かい愛情を見出しました。
その愛情が彼女の愛を生かし、ゆるしになりました。

罪は愛さないことです。ゆるしは愛することです。

愛は開いた心で生きることだと感じます。
シモンとファリサイ派の仲間たちは自分の正しさに縛られ、その正しさを通し、すべてを裁こうとします。
女の人を見る時に、彼女を見ていません。ただただ裁きました。
他人を受け入れる心を持っていないからです。愛さないからです。

彼女は自分の足りなさをよく知っていて、ゆるしを求めています。
イエスは罪から、愛情のない人生から、救われたい彼女の渇望を受け入れます。
そして、彼女の愛情が溢れるほど解放されます。罪からゆるされたのです。
自分の罪から、さらには周りの人の罪からも解放されました。

この箇所の中で、イエスは人からどう思われるかについて全く気にしていません。
イエスは心の中にあるものを知っているから、その女の人の苦しみと希望しか見ていません。
シモンたちとは違っているのです。
そこで他人を受け入れるイエスの愛の力が示されます。
そういう時こそ、イエスを通し、神様の慈しむ心を感じます。
神様もイエスもわたしたちを裁きません。
わたしたちを豊かにしたいだけなのです。
周りを気にせず、自分に正直に、自分の足りなさをさえ認めれば、それがかなうのです。

主イエスよ、人の前に偉そうに見せたいわたしを憐んでください。
その女の人と同じように、どう思われることを気にせず、あなたを受け入れることができますように。

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