カトリック神戸中央教会
Kobe Central
catholic church
エマニュエル・ポポン神父
Kobe Central
catholic church
イエスの復活は、生きることを改めて考えさせるものです。
命と愛は死を含めて、全てのものに打ち勝つ、それは復活で明らかにされました。
この世の中に、見えないけれどわたしたちを包み、わたしたちを動かす命の息吹があります。
その息吹は神の霊と呼ばれています。その息吹がイエスとともにずっといて、イエスを死から蘇らせました。
しかし、復活というできごとが大切と言っても、それが一番大切ではないと感じます。
復活は命の息吹の働きによって行われました。
つまり、わたしたちにできないことで、受け入れるしかない出来事です。
復活はその命の息吹である神の霊の存在を証ししたのです。
わたしたちはその命の息吹とともに生きています。
イエスは我々に復活を述べ伝えず、神の霊とともに生きることを述べ伝えました。
天国を述べ伝えず、神の霊に従って生きることを述べ伝えました。
イエスの生涯をみると、一つのことがわかります。
命の息吹である神の霊は人の味方であり、人を豊かな状態へ導き、生き方を教えてくださいます。
行動や思い、神の霊が教える行動は愛と呼びます。
イエスは神の霊のうちに愛に基づいた生き方を示しました。
愛することと生きることは神の霊につながっていることがわかります。
わたしたちは細胞のかたまりだけではありません。霊的な生き物です。
命の息吹につながっているのです。
その命の息吹が、イエスが示したように、わたしたちと共にいて、わたしたちに豊かに生きることを教えてくださいます。
それは愛です。命の息吹である神の霊は、愛を教えてくださいます。
愛は命の息吹が教えるもので、その愛は神の息吹がわたしたちと共にいるしるしです。
つまり、愛を実践する人は命の息吹とともに生きるのです。
復活により、愛を実践することで命の息吹とともに生きられることを学べました。
神の霊が教える愛をイエスが実践したように、わたしたちも愛を学んで、愛を実践することができるのです。
愛することは神とともに生きることを表します。真に生きることは愛にとどまることにあります。
イエスは命を失うまで愛に従いました。しかし失った命は体の命だけでした。
愛のうちに生きていたイエスは、真の命を失いませんでした。
生きることは体の細胞を保つのではなく、愛する自分を生かすことなのです。
つまり、イエスの復活を通して、生活より、健康より、どんなことより、愛にとどまることが大事だと知るのです。
愛することは自分で決めるものです。神の息吹とともに生きることを決めることです。
イエスは愛をする道を歩みました。神の命の息吹に沿って生きようとしました。
それが命と喜びへの道になりました。その道もわたしたちは歩むことができるのです。
命と、喜びになる愛の道をイエスから学ぶことができます。
愛の道は神の息吹に従って生きることです。
その息吹はご復活の時に非常に強く吹き、今もわたしたちの日常生活の中に吹いています。
その命の息吹を受け入れて、従っていきましょう。命と喜びに向かって。
この世の中に苦労はたくさんあります。そして愛のない行動や思いも。
しかし、闇の中の光のように、愛が輝きます。
イエスと同じく愛に従う人は、神の息吹とともに生き、その息吹が教える愛を宿すものになります。
ご復活に励まされ、そういう人でありたいと思っています。
司祭メッセージのタグ一覧
年間行事のタグ一覧
カトリック神戸中央教会と同じ敷地に、カトリック社会活動神戸センターがあり、高齢者、障害者支援、外国人支援、野宿者支援を行っています。