カトリック神戸中央教会
Kobe Central
catholic church
ブレイズ神父
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洗礼を受けられた皆さん、私たちのキリスト共同体にようこそ!
家族にとって新しい命、子供を授かることは喜ばしく最高の恵みです。
同じようにキリスト共同体にとって、洗礼志願者が洗礼を受けて仲間になることは大きな喜びです。
皆さんは長い準備の時を過ごして来られました。
特に四旬節には最終的な養成を受け、これからの障害をキリストに従って生きるという決意をされ洗礼式に臨まれました。
皆さんのその決意表明に合わせて、私たち信者も洗礼の約束の更新をし、新たな気持ちで共に歩ませて頂きたいと願っています。
ところでキリスト者の歩む道とはどのような道でしょうか。
それはイエスが示された道です。
教会共同体と私たち一人ひとりに与えられた使命はイエスご自身の使命だと教会は教えています。
しかしその使命を受けて歩む道はそれほど簡単な道ではなく、いつも次の聖書の箇所が思い出されます。
向こう岸に渡ろうとイエスに言われ、湖に漕ぎ出した舟が激しい突風に襲われた。しかしイエスは眠っておられた。恐れた弟子達がイエスを起こし助けを求めた。イエスは嵐を静められたが弟子たちに向かってなぜ恐れているのか。まだ信じないのかと言われた。
(マルコ4章36節~)
という箇所です。
私たちを取り巻く現代社会はまるで深くて危険なこの湖のように揺れ動いています。
イエスは私たちと共に居て下さるはずなのに沈黙し眠っておられるように感じてしまうことが度々あります。
また人生は湖を渡って向こう岸へと漕ぎすすむ舟の航跡のように平らで静かな道ではなく、失敗や誤解、矛盾、不秩序などのいばらに覆われた十字架の道です。
では、一体私たちはどうすればよいのでしょうか?
この聖書の箇所は洗礼を受けて神の子どもとされ、キリストの弟子となった私たちがゆっくりと黙想すべき箇所だと思います。
イエスはいつも共におられますが、眠っておられるのです。
弟子達のように遠慮せずイエスに叫びましょう。その叫びは祈りです。
しかし、誤解してはいけません。祈れば物事が良くなるとは限りません。
たとえイエスがずっと沈黙するとしても、私たちはイエスへの信頼を固く保ち、目指す岸に向かって漕ぐように聖霊の導きを願い求めましょう。
キリスト教の信仰の中心はイエスの受難、死と復活です。
最高の祈りであるミサを通して復活の光の前にある受難と死に目をとめて生きていきましょう。
あらためて主のご復活おめでとうございます!
出典元:プネウマ No187 イースター号より
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