カトリック神戸中央教会

Kobe Central

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赤波江 豊神父
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黙想のヒント 聖家族の主日

「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(ルカ2:49)

イエスの言葉は時々理解に苦しむことがあります。
「両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。」(ルカ2:50)とありますが、わたしたちにも分かりません。
しかし少年イエスは決して両親を困らせようとしたとか、反抗心を起こしたわけでもありません。
イエスは天の御父を選ぶために神殿に留まったのです。
しかも少年期と言う人生の始めにイエスは神を選びました。

わたしたちも人生で大切な選択を求められることがあります。
それは人によって違いますが、場合によっては非常に若い時、幼少期によることもあります。
少年イエスは神を選ぶ時、両親から一度離れました。
それは単なる迷子ではありません。それは両親にも分からなかった「別離の神秘」です。
大切な出来事の前に孤独になることが求められる場合があります。
孤独になるということは、即ち神とともにいることだけが求められるということです。

例えば洗礼者ヨハネの父ザカリアは、年老いた妻エリザベトが男の子を身ごもったことを大天使ガブリエルから告げられた時、それを疑ったためヨハネが生まれるまで口がきけなくなりましたが(ルカ1:5~25参照)、それは決して罰ではなく、子どもが生まれるまで神とともにいることだけが求められたのですね。
これが別離の神秘でした。わたしたちも人生のなかでこの別離の神秘を経験しなければならない時があります。

神がともにいる体験は大切ですが、神不在の体験もまた同じように大切なのです。
これは場合によったら非常に辛い体験ですが、この体験を乗り越えてより深く神と一致できるのです。
少年イエスは3日間の両親との別離を経験した後「ナザレに帰り、両親に仕えてお暮しになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。(ルカ2:51~52)

別離の神秘を経験した後、ナザレの生活は一見今までと変わらないように見えながらも、実はイエスの心のなかでメシアとしての意識が徐々に熟成されて行ったのです。

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