カトリック神戸中央教会

Kobe Central

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赤波江 豊神父
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黙想のヒント 待降節第3主日

「皆さん、主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピ4:4)

パウロが手紙の中で非常によく使う言葉、それは「喜び」、「感謝」、「賛美」です。
特に「喜び」はその使う頻度からパウロを代表する言葉と言ってもいいでしょう。
なぜパウロはこの喜びという言葉を多く使うのでしょうか。
パウロは根っから陽気な人だったのでしょうか。私はそうではないと思います。

パウロの手紙を読むと、彼が多くの試練、苦難、迫害を受けたことが記されています。
彼は誰よりも多くの苦しみを受けました。
だからこそ彼が多くの試練を通して受けた喜びは誰よりも大きかった。だから喜びを強調したのですね。

でも皆さん、喜びと言うとどんなイメージを受けますか。
普通、笑顔、無邪気さなどの感情を思い浮かべます。
それでは、パウロはいつも笑って過ごしていたのでしょうか。
もしもパウロが根っから陽気な人だったら、きっとこれほど喜びという言葉は使わなかったと思います。

例えば「私はあなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」(コロサイ1:24)というパウロの言葉があります。
パウロはいじめられて喜んでいたのでしょうか。
そうではなく、人のために苦しむことに意味と価値があることを感じていたのですね。

実に、パウロはどんなことの中にも、苦しみの中にも大きな意味、即ち生きる価値を見出した。
それを彼は喜びと表現した。実際苦しみの中にも意味を見出したら、生き方も前向きになって自然と表情も変わり、穏やかになって笑顔にもなるでしょう。

私は「信仰とは何か」と問われたら、それは「人生に意味があることを知ることだ」と答えます。
毎年待降節第3主日は喜びの主日とされています。
この1年の試練の中にも人生を生きる大きな意味と価値があったことを感謝して、喜びのうちに降誕祭を迎えましょう。

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