カトリック神戸中央教会
Kobe Central
catholic church
赤波江 豊神父
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「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。」(マルコ9:43)
今日の福音の言葉、恐ろしいですね。
もし片方の手や足や目があなたをつまずかせるなら、切ったり、えぐり出したりしなさい……
皆さん、絶対こんなことしたらいけませんよ!
また間違ってもこんなことを人に言ったらいけませんよ!
それでは、どうしてイエスはこのような言い方をするのでしょうか。
今日の福音に限らず、イエスの教えの中には時々極端な表現が見られます。
イエスの教えの中には字義通り守らなければいけないものと、当時の時代背景を考慮して象徴的に解釈しなければならないものとがありますが、今日の福音は後者の典型です。
当時のラビ(先生)の弟子に対する教授法は口伝が普通でした。
というのは、今と違って当時筆記用具はなく、弟子たちはラビが言ったことを耳でしっかり聞いて暗記するだけでした。
だから弟子たちの耳と心にしっかり残るように、ラビたちは大切なことを強調するためによく極端な言い方をしたと言われています。
イエスも当時の習慣に従って大切なことを強調するため時々極端な譬えを用いました。
その大切なこととは、「正しいものは正しい、間違っているものは間違っている」「Yes is Yes, No is No」であって、信仰に中庸な態度はなく、信じるか信じないか、従うか従わないかのどちらかなのですね。
信仰に中庸な態度があるとすれば、それは信じない、従わないことと同じです。
イエズス会の創立者ロヨラのイグナチオは、時々自分の臨終の姿を想像するように勧め、そして死ぬ前に決して後悔してはいけないと教えました。
例えば何か大きな決断をしようとするとき、これを選び取っても死ぬ前に後悔するようなことはない、むしろ安心して死ぬことができると思ったら、勇気をもってそれを選び取りなさい。
反対に今これを選び取ったら死ぬ前に後悔するのではないかと迷ったら、それはいさぎよく捨てるようにと教えました。
今日の福音の譬えのように、まさに片手片足を切り捨てるような思いで、悪いものは今、後からではなく今捨てるように教えたわけですね。
スペインに「死は真実の鏡である」という諺があります。
人は死ぬとき、それまでのその人の人生が容赦なく映し出されます。
良かったことも、悪かったことも。一回限りの人生、しっかりと襟を正して生きて行きましょう。
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