カトリック神戸中央教会

Kobe Central

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赤波江 豊神父
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黙想のヒント 年間第23主日C年

「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、誰であれ私の弟子ではありえない」(ルカ14:27)

厳しい今日の福音の言葉ですね。
誰でも、大なり小なり、見えても見えなくても、それぞれ何らかの十字架を持っています。
私も私なりの十字架がありますが、イエスに反論するわけではないのですが、私は十字架を背負って生きたくはないです。私は十字架に意味を見出したいのです。
そうして、十字架を十字架とは思わず、そこに生きる大きなヒントを見出したいのです。
十字架を乗り越える大きなヒント、それは十字架に意味を見出すことです。

あのアウシュビッツを経験したユダヤ人の哲学者で、精神医学者のヴィクトール・フランクルは、当時収容されていたある青年について述べています。
彼には生き別れた母親がいたのですが、彼女は今どこにいるのか分かりませんでした。
しかし彼は神に、「もし自分がここで死ぬようなことがあったら、本来自分が生きるはずの年月を、今どこにいるのか分からない母親にあげてほしい」と毎日祈って、今の自分の苦しみに意味を見出し、そのことによって彼は収容所で生き延び、ついにそこから解放されることができたのでした。

生前のヴィクトール・フランクルに会ったことのある日本人は、彼からこう伝えられました。
「人間誰でも心にアウシュビッツ(十字架)を持っている。あなたが人生に失望しても、人生はあなたに失望していない。あなたを待っている誰かや、何かがある限り、あなたは生き延びることができるし、自己実現ができる。」

「昨日の敵は今日の友」という諺があります。それは何も人だけのことを言うのではありません。
過去の敵であった苦しみ、十字架に意味を見出し、そのことによって人生を生きる意味を見出したなら、かつての敵であった十字架は今、友として私たちに寄り添ってくれるでしょう。

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