カトリック神戸中央教会

Kobe Central

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赤波江 豊神父
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黙想のヒント 年間第14主日

「皆さん、わたしが思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られたつかいです。この使いについて、離れ去らせてくださるよう、わたしは三度主に願いました。すると主は『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(使徒パウロのコリントの教会への手紙)

印象深い今日のパウロの言葉です。
ところでパウロが言う「とげ」とは何でしょうか。
「とげ」は普通ごく小さなものですが、いったん体に刺さると全身が痛く感じるほど厄介なものです。
パウロにとってのとげは肉体的なものか精神的なものかは分かりませんが、いずれにしても「これさえなければ」と思われる弱さ、欠点のようなものであったのでしょう。

「これさえなければ、もっとうまくやれるのに」とか「何で自分はこんな人間に生まれついたのだろう」とパウロはいつも悩んでいたことでしょう。
そして何とかしてこれを取ってほしいと三度主に祈った結果、聞こえてきた答えが「わたしの恵はあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」でした。
その意味は「あなたは今のままでいなさい。あなたがわたしを忘れることのないようにわたしはこのとげを与えた。」と言うことだったのでした。

わたしたちもまた時々鏡に映る自分の顔を見ながら、「これさえなければ」と思うような「とげ」即ち弱さ、醜さがあることでしょう。
でも自分の弱さ醜さを感じるからこそ祈るのであり、自分の弱さ醜さを感じなかったら、パウロが言うように思い上がって祈ることもないでしょう。
普通、わたしたちは自分に自信があるとき真剣には祈りません。

能力的なものであれ経験的なものであれ自分に自信がないとき、自分の弱さを知ったときこそ真剣に祈ります。
弱さ醜さはわたしたちが思い上って暴走しないため神が与えてくださった安全弁であり、神との出会いの場です。

『自分の最も醜いと思われるところ、そこにこそキリストはおられる。』

今日もパウロと一緒にこう祈りましょう。

「神よ、わたしをこんな弱い人間につくってくださってありがとう。わたしはこんな弱い人間だからこそ毎日お祈りできるのです。」

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