カトリック神戸中央教会

Kobe Central

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赤波江 豊神父
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黙想のヒント 四旬節第4主日

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

皆さん、信じるとはどういうことでしょうか。
神様や天国や永遠の命を信じるとか、言葉では分かるがピンとこない。
見たことも触れたこともないものをどう信じたらいいのか分からない。
でも何かありそうだ、あるに違いない。だから「信じたい」。皆さんこんな思いをもっておられるのではないでしょうか。

どう信じたらいいのか分からない。でも「信じたい」。これが大事だと思うのですね。
実は、「信じたい」という思いが「信じること」なのです。即ち、願ったそのときかなえられているのですね。
イエスご自身嬉しいことを語ってくださいました。「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。」(マルコ11:24)

人を愛したいと願ったとき、既に愛しています。
人を赦したいと願ったとき、既に赦しています。
癒されたいと願ったとき、癒しは始まっています。
しっかりと人生を歩みたいと願ったとき、新しい人生を歩みだしています。

私の好きな典礼聖歌に「キリストはぶどうの木」があります。
なぜ好きかというと、この歌詞がいいのですね。この歌詞はすべて願望で終わっています。

キリストはぶどうの木 私はその枝のひとつ いつくしみの雨に洗われ つながっていたい
いつの日もキリストはいのちの泉 私はほとりにたたずむ みことばの水に満たされ うるおっていたい
いつの日もキリストはこの世の光 私のこころを照らす 喜びの光をあびて 輝いていたい
いつの日もキリストは父への道 私はその道を歩む 救いのみわざを信じ たどりつきたい
いつの日も

即ち、キリストにつながっていたいと願うことが、既につながっていること。
キリストの泉にうるおされていたいと願うことが、既にうるおされていること。
キリストの光に輝いていたいと願うことが、既に輝いていること。父への道であるキリストにたどりつきたいと願うことが、既にたどりついていること。

同じように、キリストの弟子とはどんな人のことを言うのでしょうか。
自分はキリストの弟子だと確信したら、もしかしたらそこには少し高慢があるのかも知れません。
そうではなく、人間的な弱さ、もろさを身におびながらも、それでもキリストの弟子でありたいと願い続けている人がキリストの弟子ではないでしょうか。
皆さん、コロナが終息したら大きな声で「キリストはぶどうの木」を歌いましょうね。

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