カトリック神戸中央教会

Kobe Central

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赤波江 豊神父
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黙想のヒント 四旬節第5主日

「キリストは肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞きいれられました。そして完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して永遠の救いの源となりました。」(ヘブライ人への手紙5:7-9)

聖書の中でこれほどイエスの苦しみを生々しく描いている箇所は他にありません。
なぜこれほど苦しまれたかというと「すべての人々に対して永遠の救いの源」となるためでした。
どういう意味でしょうか。

この世界には同類の者、同じ性質の者は引き付けあう法則があります。
悪いことばかり考えている人には、同じことを考えている人が分かります。
正しく生きることを願っている人には、同じように生きることを願っている人が分かります。
同じように大きな苦しみを経験した人には、大きな苦しみを経験したが人自然と分かります。その人が多くを語らなくても、黙っていたとしても。

そうしてお互い共にいるだけでお互いを癒しあうことができるのです。
このことを経験された方も多いと思います。
癒しの賜物は何も特殊な人が持つのではなく、大きな苦しみを経験することによって誰もがもつことができるのです。
そういう意味で私たちもイエスと同様、大きな苦しみを経験することによって隣人の「救いの源」となることができるのです。

確かに苦しみは避けて生きたい。
でもどうしても避けることができないときもあります。
それを等身大で受け止め、それをステップとして更に生きる力としていきましょう。
苦しみにこそ大きな意味と価値があります。

「もしこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。個性は安らぎや静けさの中で生まれるものではありません。試練や苦しみを経験することでのみ魂が鍛えられ洞察力が研ぎ澄まされるのです。世の中はつらいことでいっぱいですが、それに打ち勝つことも満ちあふれているのです。人の苦しみをやわらげてあげられるかぎり、生きている意味はあります。」(ヘレン・ケラー)

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