カトリック神戸中央教会

Kobe Central

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赤波江 豊神父
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黙想のヒント 受難の主日

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)

福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネから成っていますが、それぞれストーリーも違いますし、食い違っている箇所もあります。
マタイの話がヨハネにはなく、ルカの話がマルコにはなかったりなど。
でもどれが正しくて、どれが間違いかということではありません。

弟子たちはそれぞれ自分たちの信仰の目でイエスを描いたのですね。
私たちもまたそれぞれイエスの見方が違います。
あるときはイエスの目が厳しく感じられたり、あるときは優しく感じられたりします。
福音書は信仰の書です。科学の書でも歴史の書でもありません。

十字架上のおけるイエスの最後の言葉も同じです。
マルコとマタイは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と言って亡くなり、ルカは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(23:46)で終わり、ヨハネは「成し遂げられた」(19:30)と言って息を引き取っています。

これもどれが正しくどれが間違いかという問題ではなく、私たちもまたそれぞれの人生において苦しみの中で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という絶望的な叫びをあげ、もう教会なんかいくものかと自暴自棄になったときもあれば、その人生の闇のなかで「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言ってまた神に立ち返りながらも、生涯の最後はやはり今までの人生の喜びも悲しみも全てをよしとして、今までの自分の人生はこの時のための準備であったのだ、全ては「成し遂げられた」と言って感謝のうちに神のふところに帰りたいものです。

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