カトリック神戸中央教会
Kobe Central
catholic church
赤波江 豊神父
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「わが名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。」(マラキの預言3:20)
古代の人は太陽を神として崇めました。次に科学の時代が来て、人々は、太陽は神ではないと言いました。
やがて神秘の時代が来て、アシジのフランシスコは太陽を友と呼びました。
この地球にエネルギーを与えてくれる最大の熱源は太陽です。太陽がなかったら人間は生存できません。
太陽はこの地球にエネルギーを与えてくれるだけではなく、人間の心にも希望を与えてくれます。
夜中に目を覚まして、何かのことで不安を感じたり、気が重くなったりすることがありますが、朝になって太陽が昇ると、不思議と夜中に不安を感じていたことが、まるで何もなかったかのように消えてしまう。
太陽によって周囲が明るくなれば、不思議と心も明るくなる。まるで優しく語りかける友のように、太陽は私たちに生きる希望を与えてくれているのです。
この地球の歴史が始まって以来、太陽が昇らなかった日はありません。
毎朝太陽が昇って、新しい朝を迎えることが出来ることの意味は、「昨日の傷は、今日自ら癒してくれる」、「昨日の涙は、今日自ら拭ってくれる」、「昨日失敗しても、今日は再びやり直すチャンスが与えられる」、ということです。
同じように、私たちの共同体や社会に、太陽のようなエネルギーを与えてくれるもの、それは前向きな姿勢、ポジティブな態度、楽観主義です。前向きで、ポジティブな人はそれだけで既に社会貢献をしているのです。
反対に、人をダメにするのは簡単です。それは人を不安にさせることです。だから、サタンは私たちを不安にさせるよういつも仕向けるのです。
イエスは言いました。「惑わされないように気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。」(ルカ21:8~9)
聖書には次のように記されています。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が面を動いていた。神は言われた。「光あれ」こうして、光があった。」(創世記1:1~3)
実は、私たちもこの天地創造を再現することができるのです。
即ち、闇の心に一言「光あれ」と宣言すれば、光である希望を生み出すことができるのです。
「あなたの信仰が、あなたを救った」(マタイ9:22等)と病気の人に宣言したイエスは、同じように私たちに信じる力、自己実現能力を与えてくれているのです。
人間は自分が信じた通りになります。
福音書の結びでイエスは、「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」(ルカ21:19)と言いました。
しかし私は次のように読み替えてもいいと思うのです。
「希望によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
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