Kobe Central
catholic church
聖堂の内部空間は、聖霊に捧げられたこの教会にふさわしい、明るい静寂さに包まれた空間をイメージして作られました。聖霊降臨を象徴する天窓の真下に、聖堂の中心である祭壇が置かれ、それを取り囲むように信徒席が配置されています。
朝のミサや個人的なお祈りのためにあります。
天地創造を表す7 枚の小さなステンドグラスのある壁は、上に向かって傾斜して上端にスリットを切る事で小さい聖堂ながら広がりを持たせています。
格子越しの柔らかい光が聖堂全体を包みます。
司祭のもとで自分の罪を告白し罪のゆるしを願うことにより、神からゆるしと和解を得ます。
ゆるしの秘跡は少なくとも年に2回復活祭の前と降誕祭の前に受けることを勧められています。
これは回心、和解、癒しの秘跡とも呼ばれます。
教会の開いている時間はいつでも開放されていて、信徒、教会を訪れる方の憩いの場所です。
パーティー、聖書の勉強会、各グループの集まりなどで使われています。
教会学校の子どもたちが、聖書のことを学んだり、遊んだりして過ごしています。
イースターやクリスマスをはじめ、カトリックの行事はもちろん、講演会・チャリティコンサートやバザーなど国際色豊かな集まりを持っています。
あなたも教会の雰囲気を味わいにいらっしゃいませんか。
信徒館ロビーのメモリアルコーナーには、旧カトリック中山手教会の正面にあったステンドグラス3 枚が移設されています。
1965年にフランスのシャルトル(パリの南西100㎞)で作られました。ガブリエル・ロワール氏のアトリエの作品であり、中山手教会のために特別制作されたものです。
戦前にも当教会にステンドグラスはありましたが、1945年(昭和20年6月5日)の神戸の空襲で全焼した教会に、もう一度新しいガラスをつけようとデュレク神父によって注文されました。
聖堂の中には、聖書に記されている20の物語からなるおよそ40枚のステンドグラスがはめ込まれていました。キリストの誕生に関するいくつかのエピソード、キリストの受難(入口の薔薇の窓)、キリストのご復活、ご昇天、聖霊降臨、キリストの母マリア、キリストの教えの一部などです。
ロワール氏は、厚いガラスをセメント材で固める「ダル・ド・ベール」という特殊な製法でこのステンドグラスを作ったため非常に頑丈で、震災で聖堂が半壊になっても、ステンドグラス自体は無事でした。
ステンド・グラスは聖堂の解体工事の際に取り外され、旧聖堂の祭壇後ろ部分に設置されていた部分は、2004年に献堂されたカトリック神戸中央教会の聖堂で再び光の輝きが通過するようになりました。
他のステンド・グラスの一部は、2008年に高松のカトリック桜町教会に設置されました。
残る部分は長く倉庫に保管されていましたが、2015年10月、新しく完成した宮崎市のカトリック宮崎教会の新聖堂に再び光の輝きと共に設置されています。
ステンドグラスは、キリストのメッセージを人々に伝える、信仰の教育の手助けの役を果たしています。肉眼で(目に)見える聖書の絵本のように信仰を生かす芸術的なものです。教会の教えを支えると同時に、祈りの雰囲気を助ける目的を持っています。
太陽の光が人間を照らすように、その光を通して私たちはまことの神の光に照らされるために目と耳を通して信仰の恵みをいただきます。教会の音楽や聖歌も同じ役割を果たすもので、信仰教育に欠かせないものです。
中山手教会は小さな建物ですから、聖書の中のわずかな場面しか描かれていません。しかし、信仰を深めるためには、聖書の光と神さまの言葉を直接にいただく必要があります。また、個人的な祈りによって神さまに結ばれるためにも教会は案内の役を果たします。
教会の中の儀式は人間の行いですが、神さまだけが私たちの中で目に見えない業を行われます。
「しょうろう」、または「しゅろう」と読みます。フランスから贈られた旧中山手教会の3つの鐘が吊るされています。
彫刻家の二藤氏が一年半の歳月をかけ、制作されました。
後ろの壁を浮き立たせて自然のカーブで十字架のシルエットが浮かび上がるようにしつらえられ、ご像を神秘的に浮かび上がらせています。
四福音記者の象徴である天使(マタイ)、獅子(マルコ)、雄牛(ルカ)、鷲(ヨハネ)のモザイクが埋め込まれています。
ミサの時間と場所は変更になる場合や、週によって 時間が異なる場合もあります。
当サイトの「お知らせ」をご参照ください。
主聖堂を入ってすぐ、らせん状の階段を上がった二階にあります。
主日のミサや、結婚式、葬儀のミサなどで、美しい音色を奏でています。
オランダ産の白煉瓦で作られた壁面には、信徒席を取り囲むように14枚のステンドグラスの窓があります。それはまた、イエスの受難の物語をたどる信心業である「十字架の道行き」の14のステーションにもなっています。
最初 聖堂に足を踏み入れた時、このステンドグラスはほとんど目に入りません。白煉瓦の壁に映るわずかな色だけが感じられ、落ち着いた静けさに包まれた空間だけが広がります。
しかし、聖体拝領などで祭壇前に進んで振り返った時、初めて全てのステンドグラスの力強い光が目に飛び込んできて、そのダイナミックな光の変化を感じることができます。
正面左右の2枚のステンドグラスは天地創造を表し、晴れた午後には美しい色彩が正面の壁面とご復活のキリスト像に流れます。
旧灘教会にあった十字架の道行(みちゆき)。
復活祭の準備期間である四旬節に入ると、この小聖堂で静かに十字架の道行のお祈りが行われます。
聖霊に捧げられた教会堂にふさわしく、
Veni, Sancte Spiritus
「聖霊来りたまえ」の文字が刻まれています。
旧中山手教会にあった聖母子像。
震災後に、十字架と共にこの小聖堂に置かれました。
カトリック神戸中央教会は、1995年の阪神淡路大震災後で被災した以下の3つの教会(灘、中山手、下山手)を統合し、神戸の教会の中で新生の要として誕生しました。
幕末の動乱の頃、フランスのパリ外国宣教会の一員として来日していたムニクウ神父は、1868年(慶応4年)7月、神戸に開かれた新しい港に上陸し、活動を開始。同年9月に居留地仲町37番地(現 大丸百貨店付近)の土地を手に入れ、2年後の1870年4月神戸初のカトリック教会「七つの御悲しみの聖母天主堂」が献堂された。これが旧中山手教会の母体となる。カトリック中山手教会は、その最初の聖堂が老朽化したため、ファージュ神父により1921年(大正10年)に現在の神戸中央教会の場所、中山手1丁目に移転されたもの。1923年(大正12年) 新聖堂が完成した。ゴシック建築を模した美しい教会堂であった。第2時世界大戦末期の1945年(昭和20年)6月5日、神戸大空襲で聖堂は全焼し、堂内にいたファージュ神父は二人の信者とともに犠牲となった。
その10年後、1956年(昭和31年)、聖堂は、残っていた壁や柱を礎にして、フランスから新たに送られたステンドグラスとともに見事に修復され、その後 神戸を代表する景観の一つとして親しまれた。しかし、1995年1月17日の阪神淡路大震災によって聖堂は半壊、司祭館は全壊した。1999年(平成11年)5月23日、下山手教会、灘教会と統合されてカトリック神戸中央教会となる。2004年(平成16年)新聖堂完成。
パリミッション会のペリン神父により、1910年(明治43年)現在の中央区下山手7丁目に献堂。孤児院と幼稚園を兼ねた児童施設⎯⎯⎯幼きイエズス会の神戸女子教育院も隣接して建てられていた。ロマネスク様式の煉瓦造りの美しい建物で、神戸大空襲にも被災を免れ、神戸の教会建築を代表するランドマークであったが、1995年(平成7年)1月17日、阪神大震災により聖堂全壊。
1999年(平成11年)5月23日、神戸中央教会に統合される。
戦後、信者数の増加にともない、神戸市内に新しい教会を求める声の高まりを受け、1951年(昭和26年)灘区(現 中央区)籠池通の土地に焼け残っていた建物を仮聖堂として始められた。やがて幼稚園も併設され、1958年(昭和33年)には待望の聖堂が完成、着実に活動を続けていたが、1995年の阪神淡路大震災を機に、神戸中央教会に統合されることとなった。
ジェローム・パダモ・サルトノ(ジェロム)神父
2023年4月 淳心会本部へ異動されました。
赤波江 豊神父
2023年4月 香里教会へ異動されました。
ジョン・マリポポン・エマニュエル神父
2022年4月 夙川教会、甲子園教会へ異動されました。
ミシェル コーナン神父
(パリミッション会)
2021年8月11日尼崎市の「ドムス ガラシア」に移られました。
ルスタラン バルテレミ神父
(パリミッション会)
2019年12月3日フランスに帰国されました。
アウグスチヌス
傘木 澄男神父
2018年8月8日に帰天されました。
神父様との出会い、そしてともに過ごした日々に心から深く感謝しますとともに、
安らかなお眠りを心よりお祈り申し上げます。
ジョン ルク オマリー神父
(イエズス会)
2021年1月8日に帰天されました。
神父様との出会い、そしてともに過ごした日々に心から深く感謝しますとともに、
安らかなお眠りを心よりお祈り申し上げます。
ブラッドリー・ロザイロ神父
(オブレート会)
2017年4月 梅田教会へ異動されました。
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Copyright © カトリック神戸中央教会
カトリック神戸中央教会と同じ敷地に、カトリック社会活動神戸センターがあり、高齢者、障害者支援、外国人支援、野宿者支援を行っています。
カトリック大阪高松大司教区(大阪教区)は、日本にあるローマカトリック教会16教区のうちのひとつで、大阪府、兵庫県、和歌山県におけるカトリック教会の活動を管轄範囲としています。
その中に、地域ごとに74の小教区(いわゆる「教会」)が置かれています。
またそれ以外に教区責任者によって認可された、さまざまな修道会(修道院)やカトリック施設・事業体などがあり、それぞれが独自の役割を担って活動しています。
ひとつの教区として独立した組織になったのは1888年で、1969年以降は、名古屋・京都・広島・高松の各教区を管轄する大司教区となり今日に至っています(2010年4月現在)。
現在の教区責任者は、トマス・アクィナス前田万葉大司教(2014/9/232着座)で、司教座聖堂(カテドラル)、大司教館および教区本部事務局は、大阪市中央区玉造に置かれています。
大阪高松大司教区ウェブサイトより参照
・信徒総会
小教区評議会での決定事項について、信徒の皆さまへの周知を図るために開かれます。
信徒は自由に小教区運営についての意見を述べることができます。
原則として年度始めに回収されます。
・評議会組織
司祭と共に、「専門部」、修道者、英語グループおよびセンターの代表者各一名によって構成されています。
神戸中央教会に所属しておられる方は、お住まいのある地区会へご参加ください。
原則的に全員参加となります。
各地区には、地区世話役、書記の方がいます。
葬儀の連絡などは地区連絡網でお知らせいたしますので、世話役の方へご希望の連絡方法をお伝えください。
奇数月の第一日曜日、日本語のミサの後にそれぞれの地区の集まりがあります。